『唐人歌舞伎』シリーズ 
『唐人歌舞伎』とは・・・
 劇団ショーマンシップは、江戸時代に唐人町にあった学問所「甘棠館」の 物語を、そのほぼ同じ場所に造られた「甘棠館Show劇場」にて『筑前亀門烈伝』シリーズを6作品上演。その最終章を『唐人歌舞伎』と銘打ち公演しました。
 地域の歴史物語を地域の劇団が舞台化していくことを一つの命題であるという 考えのもとに『唐人歌舞伎』という企画での歴史物語の上演を続けてきました。
 地元の歴史物語を掘り起こし、創作舞踊、殺陣、唄のほか、現代文化を織り交ぜた オリジナルの芝居づくりをモットーにシリーズを展開中。
 『唐人町でつくられ、唐人町で上演される、ショーマンシップ流の福博の歴史物語』が 『唐人歌舞伎』です。

筑前亀門烈伝〜最終章〜『金印怪異伝』 【唐人歌舞伎】第一作目
筑前亀門烈伝〜最終章〜『金印怪異伝』

脚本/生田晃二  演出/仲谷一志

【地元の歴史をサスペンス物語として舞台化】
 天明四年(1874年)志賀島叶の崎の甚兵衛の田から金印が発見された。 甘棠館の館長である亀井南冥は、いち早くこの金印の価値に気づき、 それを保護した。これが一般的に言われている金印発見に対しての事実。
 だが、金印にはいくつもの謎がつきまとう。存在が確認されない発見者、甚兵衛。 日付のない鑑定書。早すぎる京都での論文発表。何の遺跡も見つからない志賀島の発見場所。
 その全てに関わるのは、甘棠館の館長である亀井南冥。亀井南冥は金印を保護した功労者か、 それとも・・・。

女優、草村 礼子さん友情出演作品
2006年6月8日(木)〜12日(月)上演

『男一匹、平野國臣』 【唐人歌舞伎】第二作目
『男一匹、平野國臣』

脚本/生田晃二  演出/仲谷一志

【幕末の福岡に国のために生きた男が一人・・・】
 幕末、「ただ日本国の家臣でありたい」と願い、國臣と名乗った男の物語。
 「我胸の燃ゆる思いにくらぶれば、煙はうすし桜島山」という歌でも知られる彼は、 筑前国福岡城下町に足軽の次男として生まれる。国家統一を目指した討幕論を抱え、 激動の時代を駆け抜けた國臣。「幕末の吟遊詩人」と称されたように雅楽をたしなみ、 歌を詠む一流の文化人でもあった。新撰組に捕らえられ、六角の獄にて新しい時代を 見ることなく、その短い生涯を遂げた幕末の維新志士、平野國臣の生き様を事実そのままに描く。

邦楽奏者を招き、下座音楽を取り入れつつ華やかな演出を行った
2007年7月12日(木)〜16日(月・祝)上演

『筑前藩校絵巻〜猷(みち)を修める者〜』 【唐人歌舞伎】第三作目
『筑前藩校絵巻〜猷(みち)を修める者〜』

脚本/生田晃二  演出/仲谷一志

【時空を越えたドラマの幕が上がる!!】
 福岡藩上級武士の息子勝次郎と福岡藩平士(下級武士)の息子小太郎は、 何かあるかごとに反目し、喧嘩ばかりしていた。小太郎は幼馴染のお春が、 勝次郎の家に女中として奉公にあがっていることが気にいらない。
 いつものように喧嘩していると、二人の男が仲裁に入る。その二人こそ、 修猷館館長の竹田定良と甘棠館館長の亀井南冥だった。
 それをきっかけに勝次郎は修猷館に、小太郎は甘棠館に入学することになる。 勝次郎は自らの内面を鍛えるために、小太郎は出世のために、目的は違えど二人は 学問を学び始める。
 二人の対立は学問所に入ってもおさまることはなかった。金印が発見されれば、 その真偽について争い、武術見分が行われれば武術を競った。異なる学問を修める 学問所同士の対立も、二人の争いを助長するかに思われたが・・・・。

修猷館高等学校の講堂の落成式にて上演
2008年6月5日(木)〜10日(火)上演

『笑劇!黒田騒動』 【唐人歌舞伎】第四作目
『笑劇!黒田騒動』

脚本・演出/生田晃二

【笑ってわかる黒田騒動】
 実際の歌舞伎舞台でも御家騒動もので取り上げられる「黒田騒動」。しかし、そこは唐人歌舞伎!ただの「黒田騒動」なわけがない。舞台を現代に移し、スーツにちょんまげの企業侍達が織り成す御家騒動に。しかも、主役の栗山大膳はツンデレのキャリアウーマン!! 福岡の歴史をさらに面白く、分かりやすくなりました。
 シリーズ初、中学校の芸術鑑賞として、また「甘棠館Show劇場」を飛び出し、観劇いただいた作品でもある。

「唐人歌舞伎」脚本家・生田晃二が初演出で話題に
2009年6月11日(木)〜15日(月)上演
2011年1月30日(日) ユメニティ直方にて上演
2011年2月15日(火)「甘棠館Show劇場」にて芸術鑑賞用に上演

『玄洋は七つの海へ
〜辛亥革命100周年、孫文を支えた福岡の人々〜』 【唐人歌舞伎】第五作目
『玄洋は七つの海へ〜辛亥革命100周年、孫文を支えた福岡の人々〜

脚本/生田晃二 演出/仲谷一志

【世界的革命を史実として身近に感じる】
 1911年に起きた「辛亥革命」。革命の中心人物である孫文は、明治38年(1905年)日本に亡命してきていた。 彼の唱える革命を助けるべく、福岡出身で玄洋社社員の末永節、荒尾出身の宮崎滔天は三つの革命勢力(興中会・華興会、光復会)を まとめようとしていた。同盟の協議のために玄洋社の内田良平宅に皆集まるが・・・・。
多くの注目を集め、各メディアからの取材を受けたお芝居。連日ソールドアウトと大好評を博した。
 また、宮崎滔天の出身地である荒尾に赴き、荒尾市立の中学校(3校)で公演を行った。

2011年9月8日(木)〜13日(火)「甘棠館Show劇場」にて上演。
2011年11月25日(金)荒尾市立 荒尾第四中学校にて上演。
2011年11月28日(月)荒尾市立 荒尾海陽中学校にて上演。
2011年11月29日(火)荒尾市立 荒尾第三中学校にて上演。